何から読んでいいのやら

ブログの更新があんまりできなくて、いただいた本などをあまり紹介できずにいて、すみません。最近読んだ本をここでまとめて。


岸川真『だれでも書けるシナリオ教室』(芸術新聞社、1850円+税)。自分はシナリオ書く気ないからなあと読みだしたが、引き込まれて最後まで読んでしまう。シナリオの書きかたを論じた実用本であるが、すぐれた実用本がそうであるように、読み物としてじつに面白い。岸川さんの本はだいたい読んでいるが、自己分析や鬱積の描写に力が入りすぎるとちょっと距離を置きたくなる。『フリーの教科書』がそうだった。それに対して、本書は実用書という枠組みがあるから、そこにちょっと顔を出す岸川さんの独白が生きてくるのだ。


シナリオを書くつもりはないけど、先日、橋本忍『複眼の映像』(文春文庫)を読んだので、シナリオが出来上がっていく過程には興味がある。なので、「ドラマは発端・葛藤・解決の三段階で書く」とか、「プロットは明確で予定調和なものであり、シナリオはその予定調和的な世界に抗うものだ」という指摘には、なるほどと思う。


また、本書はシナリオに限らず、文章を書きだすためのヒントが散りばめられている。いい文章の書き方というよりは、まず書いてみる、踏み出すためのヒントというか。たとえば、こんな指摘。

非常に短い言葉に切り詰めていくシナリオの「ことば」。「イメージ」の喚起力。この性質が短歌や俳句、現代詩にどこかでつながるような気がします。長い散文ではなく、短く斬り込むような「ことば」を使う詩句。読者にイメージを届ける。「届け方」に類似があるのかもしれません。

第三講では、三日でシナリオを書いたときのドキュメントがあり、ここにも仕事を始める前のテンションの上げ方や、一段落してからのクールダウンの様子が書かれている。コレ読んでいると、自分でも書けそうな気がしてくるんだよな。


そして、第四講では、シナリオが映画になるまでにたどる過程を書いているのだが、映画業界の現状と著者の思う「あるべき姿」を明快にコンパクトに描いている。ここもグダグダと書かれると読み飛ばしたくなる部分だ。サミュエル・フラーニコラス・レイロバート・アルドリッチらが、低予算映画のなかに自分自身が考えている現在性を投影したと述べたあと、こう書く。

その時代その時代に「自分の生きている時間の温度がこのくらい」と発表しているフィルムメイカーは必ずいた。そして少なからず、その表明を聞き、画面と交流した観客がいたのです。


ウェットな岸川真よりも、クールな岸川真の文章に魅力を感じるぼくとしては、本書は『フリーという生き方』に並ぶ、折りにつけ読みかえしたい一冊になるだろう。ただ、もったいないと思う点もある。巻末に自作『フレッシュ!』のシナリオが掲載されているが、この作品は2011年に映画化予定だという。ほかにも、自作の映画化の予定はいくつかあるようだが、現時点ではどれも実現していない。順番からいえばやはり、シナリオライターでも監督でもいいが、関わった作品がリリースされた後で、本書が刊行されるべきだっただろう。いまみたいに先が判らないと、出せる本から出すしかないというのもよく判るんだけど、岸川さんを知らない読者に説明しにくい本になったことはたしかだろう(それでも売れ行きはいいようで、よかったけど)。


大村敦志+東大ロースクール大村ゼミ『18歳の自律 東大生が考える高校生の「自律」プロジェクト』(羽鳥書店、2200円+税)は、『進学レーダー』で紹介するために読んだが、面白かった。中高の校訓に「自主・自律」を掲げている学校は多いが、その実態はどんなものか、生徒の意識はどうかを、生徒会や運動会・文化祭・修学旅行などの特別行事を中心に、先生・生徒にインタビューしてまとめている。


取り上げた学校は麻布、大妻、新宿、千葉、兵庫の5つの私立・公立高校で、当然、歴史も校風も異なる。それが、生徒会の運営にも影響している。県立千葉では、学生運動の時代に生徒会が図書館に立てこもるという事件があったので、生徒会が解体されて、各クラスの長を集めた「会長会」に代わったという。県立兵庫には校則や制服が存在せず、生徒の自由度が高いので、生徒会の力も強いようだ。


先生にも話を訊いているが、生徒・先生の温度差みたいなのも感じられる。私立大妻では、生徒が最初から「コレは無理だろう」と諦めている様子で、先生は「もっと主張してもイイのに」と歯がゆく思っている感じだ。いま論議されている成人年齢の引き下げについても、生徒が「いま選挙権を与えられても困る」という反応なのに、先生によっては「判断力のある年齢なので与えるべきだ」という意見が見られる。


しかし、先生が生徒の意識を理解しているのではなく、「自分たちの学生のときはもっと知的で活動的だった」という思い込みで生徒を裁断している部分もあるのではないか。先生の発言の中には、団塊世代の自己正当化みたいなものもあったし。


この本のミソは、東大ロースクール法科大学院)生が自分で取材して執筆したという点だ。本をつくるなんて、もちろん初めての体験だろう。それなのに、4月半ばにはじまって、7月までに原稿完成まで持っていっている。教授の指導もいいんだろうけど、やっぱり東大の院生は優秀なんだろう。学部生じゃこのスピードはムリだな。彼らはまだ22、23歳ぐらいで、5歳ぐらい下の高校生の話を聴くと自分に引き付けて考えることが多いのだろう。最後の論議を読むと、この取材を通して、「自律」というテーマについて深く考えるようになっていく様子がうかがえる。母校に取材に行って思わず先輩ぶっちゃう幼さもカワイイ。


じつは一番おもしろかったのは、プロジェクトの外から進行の様子を見ていた竹内弘枝さんのレポート。てきぱき進んでいる時期があったと思えば、一度決まったことが二転三転して、結果的に最初の案に戻ったりする試行錯誤もたっぷり(不忍の会議みたい)。潤滑油としてのコンパのハナシも面白い。来年も別のテーマでの調査と本の出版が予定されているそうで、どんな感じになるか楽しみだ。


ほかに、久世番子『ひねもすハトちゃん』(新書館)、近代ナリコ責任編集『鴨居羊子の世界』(河出書房新社)、海野弘『秘密結社の時代 鞍馬天狗で読み解く百年』(河出書房新社)、『ポスト・ブックレビューの時代 倉本四郎書評集』下巻(右文書院)、齋藤希史『漢文スタイル』(羽鳥書店)などをいただいています。久世さんの新刊は、ちょっと変わった女の子が主人公で、「普通」ってなんだろう? と考えさせてくれます。倉本四郎書評集は2年前に上巻が出たきり、なかなか出なかったもので、完結してよかった。先日、編者の渡邊裕之さんと右文の青柳さんと三ノ輪の〈中ざと〉で祝杯をあげました。


買った本もいろいろあるけれど、湯浅篤志『夢見る趣味の大正時代 作家たちの散文風景』(論創社)を、北方人さんのブログで知って買った。自転車、ラジオ、鉄道、スキーなど近代に登場したものを、作家がどう出会い、どう楽しんだかを考察した本のようだ。図版もたくさん入っていて、少しずつ読んでいくと楽しそう。湯浅さんは『『新青年』趣味』という同人誌のメンバーで、この雑誌については以前、『文化通信』のコラム(だったと思う)で紹介したことがある。


で、これらの本に加えて、来週締め切りの原稿の関係書と、書評の本、さらには次の「小説検定」の本もそろそろ読みはじめねばならない。そこに、今朝届いたのは、村上春樹1Q84』Book3(新潮社)じゃないか! もはや、何から読むべきか、順序が付けられん……。


以上、一通り届いた本を紹介し終わったと思って、下に降りたら郵便受けに草森紳一『文字の大陸 汚穢の都 明治人清国見聞録』(大修館書店)が届いていた。草森さんの本、亡くなってから一体何冊めになるのか。生きている連中よりよっぽど働き者だ。「文字の大陸 汚穢の都」というタイトルが素晴らしい。編集は「白玉楼中の人 草森紳一記念館」(http://members3.jcom.home.ne.jp/kusamori_lib/)の円満字二郎さん。



だれでも書けるシナリオ教室

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18歳の自律―東大生が考える高校生の「自律プロジェクト」

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ひねもすハトちゃん (ウィングス・コミックス・デラックス)

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鴨居羊子の世界

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秘密結社の時代---鞍馬天狗で読み解く百年 (河出ブックス)

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ポスト・ブックレビューの時代―倉本四郎書評集〈下〉1986‐1997

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夢見る趣味の大正時代―作家たちの散文風景

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文字の大陸 汚穢の都―明治人清国見聞録

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