松坂屋と松屋の古本市

午前中、『進学レーダー』の書評を書く。今回は大崎梢『配達あかずきん 成風堂書店事件メモ』(東京創元社)、大村彦次郎『文士のいる風景』(ちくま文庫)、ブルーノ・ムナーリ『ファンタジア』(みすず書房)の3点。相変わらず短い字数でまとめるのはタイヘンだけど、ちょっとマニアックな本を選んでもOKなのがアリガタイ。『配達あかずきん』は『本の雑誌』で上半期ベストの2位に入っていた。古書店でなく新刊書店が舞台というのは、意外と珍しい。巻末に現役書店員による座談会が入っているが、ちょっと長すぎるなあ、コレ。


昨日、『文士のいる風景』で書き残したこと。大村さんは、十返肇という文芸評論家がお好きらしく、100人の一人に入れているほか、吉行淳之介杉森久英八木義徳らの節で、十返を印象的に登場させている。杉森久英が歯に衣着せずに十返の追悼文を書いたところ、平野謙が反論し、杉森はさらに「平野謙十返肇」という一文を書く(『新潮』1963年11月号)。そこで杉森は、一緒に「辛酸の文壇放浪の日々」を過ごした十返が、「五十面さげて、批評家という看板を掲げながら、人さまの前に出せる業績一つ持たず、死んでいかねばならなかった」と断言する。たしかに、十返肇はあまりにも文壇あるいはジャーナリズムでの人間関係に重きを置きすぎて、自分がなすべき仕事をぜんぶ後回しにしてしまったような印象がある。でも、ぼくなどはそういうトコロが好きなんだけど。一方、武林無想庵の寂しい葬式に立ち会った伊藤整は、「文士として生きる、ということはこのようにひっそりと生を終えることではないのか」という感慨に耽っている。


午後は、本やCDの値段付けを少し。それらを持って出かけ、新橋から歩いて、銀座の松坂屋へ。古本市の会場は、今日もひっそりしている。補充したあと、帳場で初日と二日目の打ち上げスリップを受け取る。初日は1万4000円、二日目は1万円ちょっと。バカ売れした前回がアタマに浮かびがちだが、シロウトにしては、これぐらい売れればまずまずだろう。明日からの三連休でどれだけ動くかな。


銀座線で浅草に出て、松屋の古本市へ。こっちも三日目なので客は少ないが、さすがに何度もやっているだけあって、どの棚も充実している。目下緊縮財政なので、文庫一冊と旬公に頼まれた本しか買わなかったが。牛センセと一緒に喫茶店で話す。宇都宮東武の古書の市はイイらしい(目録届いているでしょと云われたが、探しても見当たらなかった)。牛センセの弟も出品しているそうだ。ちょうど、栃木県立美術館で見たい展示があることだし、青春18きっぷで行ってくるかな。今日も「めぐりん」に乗ろうかと思ったが、停留所が見つからず、暑いのでスグに諦めて、池袋行きのバスに乗って帰ってくる。


晩飯に、こないだ買ったオーブンレンジでサバを焼くことになったが、引っくりかえすときにぼくが網の下に落としてしまい、そのついでに旬公が下に入っている熱湯をこぼして大騒動になる。箸の使い方がヒドイことをなじられる。こないだ、Hくん一家と焼肉食べたときも、アメリカ人の彼らのほうがうまく箸を使っていた。しかたがないよ、動物だもの。