一箱古本市in仙台 1日目

朝7時に起きて、8時すぎにウチを出る。上野駅から新幹線「はやて」に乗り、仙台へ。車中、『新潮』8月号を読む。西村賢太「暗渠の宿」が読みたくて買ったのだが、いままでの作品に比べると凡作だった。同棲し始めた時期のハナシのためか、ほかの作品ほど切実な感じが伝わってこない。中原昌也がインタビュアーになった「古井由吉氏にズバリ訊く」がオモシロかった。


9時半には仙台到着。近いなあ。外に出たとたん、体が冷える。涼しいのだ。まだちょっと早いので、駅の近くにある〈ブックオフ〉へ。その辺のベンチで開店を待ち、ナカに入る。3フロアあって本の量もかなりあるが、買いたい本はなかった。そこから7、8分歩いたところに、〈book café火星の庭〉があった。店の前にはすでに何人かがたむろしている。店の中に入ると、20人ぐらいの人があっちこっちで、箱を開けたり、モノを移動したりしていた。


火星の庭〉はどれぐらいの広さだろうか? 入って左側が本棚(古本の量が思ったよりも多くで驚く)、右側の壁面に「チェコマッチラベル」の展示、奥にカウンターと厨房となっており、それ以外のスペースを、一箱古本市のために使っている。木箱を並べ、その上に各店主の箱を置いている。通路はかなり狭く、ギリギリ人が通れる程度。会計は入口近くに帳場をもうけて行う。前野久美子さん、健一さん夫妻に挨拶したのもそこそこに、自分の箱を見つけて、屋号を殴り書きしたり、適当に並べる。今回の一箱古本市には主催者側ではなく、一参加者として関わることにさせてもらったので、店番などはお任せである。


11時にスタート。すぐさま人がなだれ込んでくる。ぼくも客の一人となって見て回る。不忍ブックストリートでは各スポットに2、3箱〜15箱程度が置かれるのだが、こっちでは50箱が一カ所に並ぶ。パンフレットに店主一覧が載っているので、それを眺めながら見ていきたいのだが、正直、そんなヒマはなかった。


まず駆けつけたのが、「十月堂(仮)」(http://blogs.dion.ne.jp/yo_kuma/)の箱。ダダカンこと本名糸井貫二という仙台在住のアーティストにちなんだ本を出品しているのだ。本には一冊ごとに内容紹介の帯を巻き、それらをまとめた目録も配っている。やるなあ。2冊買ったので、内容紹介もついでにサイトから引用しておこう。

★『黒の手帖』第2巻第2号 檸檬社 1972.2 ¥1000
「小特集 聖なる狂者・ダダカン糸井貫二+加藤好弘+さいとう・よしあき pp91-103
記事には氏の日記が公開されていて、謎めいた私生活をちょっとだけ覗きみることが出来ます。といっても、ハガキ書くか参禅するかしかしてないんだけど(なんか電波少年の懸賞生活みたい)。
ちょうどこの雑誌が発行された70年代は、ダダカンの活動の中心が、街頭でのハプニングから屋内でのメールアートに移行する時期でした。広告やグラビアのコラージュそれに息子の答案用紙、はては自身の性器の拓画までありとあらゆるものを郵便に託して送りつけ始めたのです(しかも今も継続中らしい。基本は私信だからなかなか公表されないけど)。友人知人は固より、ラジオ番組にまで送ってます。なかでもTBC東北放送の小野祐子アナウンサー(当時)。面識ないのに、ほぼ週一ペース。さすがに卑猥な図像は避けて、俳句なんか認めていますが。
ところで、雑誌でダダカンの特集が組まれたのは、多分これが最初で最後です。


★『美術手帖』第335号 1970年12月号 美術出版社 1970.12 ¥300
糸井貫二 直会肉談 このマッド・ストック」豊島重之 pp40-41、pp74-77
豊島重之氏は現在、精神科医でありながら八戸を拠点に、モレキュラーシアターというパフォーマンス・グループを主宰し、なおかつアート・サポート・グループICANOFのキュレーターまで務めています。
ちょうどダダカンが仙台で活躍していた時期、豊島氏は東北大学医学生でした。医師国家試験に合格し八戸に帰郷する1971年まで、氏は仙台のアート・シーンに深く関わっていたようです。当時目にしたダダカンのハプニングは、今なお氏の活動に大きな影響を与えているといいます。
さて当誌の記事は、豊島氏が在仙中に認めた当時の貴重な記録です。それまで名無しのままだったハプニングの数々がこのとき初めて名前を与えられ、記録されました。さもなければ、ダダカンの活動は本当に伝説の域を出なかったかもしれません。
ちなみに豊島重之氏演出の映画『高野聖』にはダダカンも出演しているとのこと。


店主の高熊洋平さんは、以前この店でバイトしており、将来は古書店を開業したいそうだ。この日も会計に駆り出されていた。「マルト」は友部正人さんの出品。音楽CDも出していたが、ココでぼくが買ったのは、『四畳半襖の下張り・わいせつ・模索舎 裁判資料集』の第一幕・二幕合併版と、第五幕。雑誌『面白半分』に載った小説が発禁になり、そのコピーを〈模索舎〉に販売を委託したところ、検挙されて裁判になったという事件。このとき被告になったのが五味正彦小林健。後者はのちに地方・小出版流通センターを設立する川上賢一さんである。この資料が友部さんの手元にあったのは、『フォークリポート』裁判があったためだろうか。いずれにしろ、一冊300円は安かった。そしてもう一店、アート系を揃えている「三妹堂(さんまいどう)」から、森卓也『アニメーションのギャグ世界』(奇想天外社)500円を。そのあと、火星の庭の店内の棚も見る。こっちにもずいぶんほしい本があったが、アレクサンダー・ウォーカー、海野弘訳『ガルボ』(リブロポート)を。この本、いいデザインだと思ったら、ADが戸田ツトム、デザイナーが松田行正ほかであった。1割引で2100円だった。これだけ買って、一息つく。


会場で、庄司文雄さんにお会いする。「ポエトリー・カレッジ塩竈」の主催者で、今年2月に塩竈で、友部正人さんが仙台出身の詩人・菅原克己の詩を朗読し、歌うという企画を行なっている。今年春の「げんげ忌」にもゲストでいらしていた。その庄司さんに、菅原克己が詩に書き、それに高田渡が曲をつけ歌った、〈ブラザー軒〉に連れて行ってもらう。詩の通り、東一番町の商店街をちょっと横道に入ったトコロにある。ガラス素通しの立派なレストランで、奥には個室まであり、そちらに通される。洋食と中華のランチがあり、ぼくはハヤシライスにした。ミニコミ仙臺文化』の創刊号には、この店のマッチラベルの図版が載っている。「西洋料理・支那料理・ビリヤード」とある。創業は大正14年とのこと。菅原克己のハナシなどをしながら食事し、アーケードのある繁華街を抜けたところで、庄司さんと別れる。


この先に古本屋があるハズ。行ってみたら、なんだか見覚えがある。三店並ぶ古本屋のうち、〈熊谷書店〉の地下で、壁に対して斜めに置かれた棚を見て、たしかに来たコトがあると気づいたのだった。隣の〈昭文堂書店〉で、山下武『青春読書日記1946−1949』(実業之日本社)300円を買う。その先も〈ぼおぶら屋古書店〉があるが開いていない。野村宏平『ミステリーファンのための古書店ガイド』(光文社文庫)によると、もっと先にも何軒かあるらしいので、歩いていくと、東北大学の裏手に出た。どうも道を間違ったようだ。ナンとか五橋通りに出て、2軒の古本屋を探すがいずれも見つからず(あとで久美子さんに聞いたら閉店したとのこと)。この通りに「華僑会館」という古いビルがあった。先に進み、〈萬葉堂書店五橋店〉と〈BOOK FANTASY〉を覗くが、後者の100円均一で、川本三郎『忘れられた女神たち』(筑摩書房)を見つけたのみ。地下鉄の五橋駅まで出て、勾当台駅へ。涼しいとはいえ蒸しているナカをさんざん歩き回ったので、汗びっしょりになった。


火星の庭に戻ると、まだお客さんがたくさんいる。ずっとこの調子のようだ。5時過ぎ、今日のトークのゲストである『仙臺文化』発行人の渡邉慎也さんが到着。粋な感じの人だ。通りの向かいのファミレスに入り、打ち合わせがてら雑談。6時半、久美子さんが呼びに来て、店に戻る。「ナンダロウアヤシゲ流 紙モノの旅」というトーク。28人が集まってくれた。いちおうメモはつくっていったのだが、最初、緊張したのか、話が上手く回ってない感じ。ちょっとアセる。しかし、後半に渡邊さんに出ていただいてからは、そこそこ盛り返したような気がする。終わってから、ぼくが持参した紙モノのくじ引き抽選会を行なう。みなさん喜んでくださったようでヨカッタ。なにしろ思い切って、明治のマッチラベルのシートまで出したもんなあ。


そのあと、近くの焼き鳥屋で打ち上げ。着物の美女二人(右は岡崎からやってきたみさきたまゑさん、左は木版の豆本・折本を出品した「鶴巻堂」さん)に挟まれて、美味しい焼き鳥を食べ、日本酒(石巻の「日高見」というのがウマイ)を飲んだ。久美子さんから売り上げ発表。一日目は総売上22万8410円。総点数479点だったという。一箱単位では1万5000円を超える売上もあった。南陀楼は8500円ほど。不忍のときの栄光はいずこ……。けっこう疲れてたので、日本酒があまり飲めずに残念。解散してから、前野さんにホテルに送ってもらって、風呂に入ってからスグに寝付く。


とにかく、決して広いとはいえない店内に50箱を並べ、多くのお客さんをさばいていた店主の前野さんの手腕には驚嘆した一日であった(ついでに、人使いのうまさにも)。